まず著者は「動物は戦争をしない、ヒトも文明に毒される前は平和に暮らしていた」とする、いまだに多くの信奉者を有するルソー的思想を、木っ端みじんに論破する。動物も同種で殺し合いをするのだ。原始的な狩猟採取民族は現代人以上に殺し合いをする〔暴力による死亡率は大量殺戮で悪名が高い20世紀の世界大戦時期よりはるかに高い〕。これは進化論に沿った自然の現象なのだと過激な発言も。考古学と人類学の最近の著しい発展がこれらを明らかにしたとのことだが、ポリティカリーコレクトじゃないこと甚だしい。なかなか邦訳が出版されなかったわけじゃ。
以後、延々と古代から現代にわたり戦争形態の推移を分析して行く。いちいち述べないけれど、興味深い。国家があってそれ故に戦争が生じたと言うよりも、戦争をするための権力機構として国家が形成されていったという過程がよくわかる。
ヘンなことで感心した。戦争時、人口の1%が徴兵動員の目途となるとアダム・スミスが書いており、それがいまだに鉄則である由。非生産部門での雇用が1%を超えると国家経済は戦費〔兵員のお給料〕を持続的に負担できなくなるとの計算。例外はナポレオン戦争当時のイギリスだがこれは借金でカバーできた。イギリスの信用力(イギリスは戦争に勝つだろう、それで十分儲けるだろうとの市場の予測)が低利での債券発行を可能にしたらしい。ひるがえって現代日本のケースを考えると兵員数でこそ1%に満たないものの、税金や補助金で食っている非生産部門の雇用は優に人口の1%を超える。それら部門は将来儲かるとも思えない。こういうことからもバラマキ行政はもうサステイナブルじゃないのだなと、感心した次第。
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